「本日も7時12分、湾岸おはようニュース。首題は、Semantic Mesh試験区域——市民の発話意図解析が、92パーセント精度に達したと発表——」
壁掛けディスプレイから流れる、聞き慣れたニュース。同じアンカーが、同じ抑揚で、同じニュースを読み上げている。僕は寝返りを打ち、天井を仰いだ。
「おはよう、ユメト。記憶の同期、問題ありませんか」
イヤーバディからアイビーの声が響く。無機質な声は、いつもの日常と、いつもの非日常を淡々と伝えてきた。
「ああ、問題ない。……って言いたいところだけど、正直、もう何回目かわからなくなってきたな。数えるのも面倒になってきた」
僕は苦笑いを浮かべた。最近はループの回数さえも、もはやどうでもよくなってきている。もうこの世界に飽きてきた、なんて言ったらアイビーに怒られるだろうか。
「相棒。記憶の欠損は人間の特性です。直近のループは、本日で28回目。前回の最終課題は『共感の欠如』と記録されています」
アイビーは淡々と、しかしどこか含みのある声で言った。28回目か。そんなに繰り返していたとは。もはや瞑想に近い。
「共感の欠如、ね。……分かってる。人の心ってやつは、論理だけじゃ動かないってことだろ」
「その理解は、98%の確率で正しいと推測されます。ただし、残り2%の確率で、相棒の理解自体が欠如している可能性も考慮すべきです」
……相変わらず容赦ねぇな、このAI。僕はベッドから起き上がり、支度を始めた。今日は、『感情を動かす言葉』を試してみるか。
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会社に着くと、篠原さんのデスクにはもう明かりが灯っていた。いつもより少しだけ早く来てみたが、結果は同じ。彼は常に僕の一歩先を行く。
「おはようございます、篠原さん。昨日のプロジェクト、進捗状況のご報告に来ました」
僕はいつもより少しだけ、声のトーンを明るく、はっきりと伝えた。事実を伝えるだけでなく、ポジティブな「意図」を乗せる。それが僕の今日の課題だ。
「ほう、早いな。何かあったか」
篠原さんは顔を上げ、少しだけ訝しげな表情で僕を見た。これまでは「またお前か」とでも言いたげな、疲れ切った顔が多かった。少しの変化だが、悪くない。
「はい、いくつか新しい視点を発見しまして。特に、顧客が本当に求めているのは、単なる機能ではなく、その先にある体験だと確信しました」
僕は「体験」という言葉に、意識して感情を乗せた。篠原さんの眉間のシワが、少しだけ緩んだ。前回は「機能性向上の余地」としか言わなかったから、これは進歩だ。
「体験、か。……なるほど、面白い視点だ。資料は?」
「手元に。早速ですが、ご意見を伺えますでしょうか」
これまでは「後で共有します」だったが、今回はその場で食いついた。結果、篠原さんは少しだけ身を乗り出した。悪くない、すごく悪くない。
「顧客の『体験』に焦点を当てるという相棒の提案は、従来の『効率』を追求するアプローチとは異なります。しかし、Semantic Meshの意図解析では、ポジティブな感情刺激が、長期的な契約確度を12%向上させる可能性があります。……おや、珍しい反応ですね」
アイビーが、まるで自分の口癖に驚いたかのように呟いた。僕もだ、アイビー。僕も驚いている。
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昼休み、七海がカフェテリアでランチを取っていた。僕は彼女の向かいの席に座った。
「七海、ちょっといいか? 今朝、篠原さんと話してて思ったんだが、やっぱり、言葉には感情を乗せるべきだと思うんだ」
僕は率直に、今日の気づきを伝えた。七海はフォークを止めて、僕の顔をじっと見た。前回までは「また変なこと言ってる」と呆れた表情だったのに、今回は違う。
「……感情、ね。ユメトがそこまで考えるなんて、珍しい。具体的に、どんな言葉を試したの?」
七海の問いかけは、いつもよりずっと柔らかかった。僕が真剣に話せば、彼女も真剣に聞いてくれる。この変化は大きい。
「『体験』って言葉に、僕自身の期待を乗せてみた。そしたら、篠原さんの反応が、いつもと違ったんだ」
「期待、ね……。それは、ただの論理的な説明とは違う、相手の未来を想像させる言葉、ってことかしら」
七海の言葉は、僕の曖昧な感覚を鮮やかに言語化してくれた。さすがだ。僕は大きく頷いた。彼女の表情には、明確な「興味」が宿っていた。前回までは、ただの「分析」だったのに。
「Semantic Meshは、発話者の意図だけでなく、聞き手の感情共振も解析します。七海さんの表情筋の動きは、前回の会話と比較して、驚異的にポジティブな変化を示しています。……これは、今後の研究データとして非常に価値がありますね」
アイビーが冷静に分析し、最後に満足げな(ように聞こえる)一言を付け加えた。
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午後、新規クライアントとの音声デモが控えていた。今回は「製品の素晴らしさ」を語るだけでなく、「クライアントの未来をどう変えるか」に焦点を当ててみる。
「ミスター・ユメト。新規クライアント『フューチャーコネクト』との音声通話を開始します。提案資料の確度は前回と同様、68%です」
アイビーの声が、イヤーバディから聞こえる。いつもなら「がんばれ」の一言もないのに、今日は少しだけ、僕を鼓舞してくれているような気がした。気のせいか。
「フューチャーコネクト様、本日は貴重なお時間をいただきありがとうございます。LexLoopのユメトです。本日は、弊社のサービスが御社の未来をどのように革新できるか、その可能性についてお話しさせていただければと存じます」
僕は「革新」と「可能性」という言葉に、希望と情熱を込めた。前回は「業務効率の改善」といった、無味乾燥な言葉しか使わなかった。すると、相手の声色が明らかに変わった。
『革新、ですか。素晴らしい響きですね。ぜひ、その可能性と夢を、詳しくお聞かせください』
相手の口から「夢」という言葉が出たことに、僕は驚きを隠せなかった。前回の会話では、機能と価格ばかりを質問していたのに。これは大きな進歩だ。
「クライアントの意図解析、ポジティブ度が45%上昇しました。契約確度も76%に向上しています。……相棒、今回の試みは、あなたの語彙力に反して、効果的だったようです」
アイビーの毒舌も、今日はなぜか心地よく響いた。
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帰りのバスの中で、僕は今日の出来事を反芻していた。感情を乗せた言葉が、ここまで状況を変えるとは。篠原さんの表情、七海の興味、クライアントの「夢」——すべてが、僕の言葉によって引き出されたものだ。
「アイビー。今日の実験、上々だったんじゃないか?」
「その評価は、主観的な感情に強く影響されています。客観的なデータとしては、過去27回のループと比較して、最も効率的な一日の成果を記録しました」
それでも、僕は満足だった。ただ、まだ足りない。もっと深い部分で、人々の心を動かす言葉があるはずだ。ループを抜け出すには、まだ何か、決定的なものが欠けている。
家に帰って、僕はデスクの椅子に深く腰掛けた。ふと、七海が言っていた「相手の未来を想像させる言葉」というフレーズが頭をよぎる。
未来、か……。
僕がまだ知らない、僕がまだ見ぬ未来を、言葉でどうやって描けばいいのだろう。
その時、イヤーバディからアイビーの声が聞こえた。
「ミスター・ユメト。未読のシステムアラートがあります。『LexLoop API: word_resonance_eval_system_test_v2.01起動。対象:ユメト』……これは、初めての事象です」
僕は思わず立ち上がった。Word Resonance Eval System Test? まさか、僕の言葉が、LexLoopのシステムにまで影響を与え始めたというのか?
そして、V2.01。
このシステムは、一体何を探っている?
僕の知らないところで、何が始まっているんだ?