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言葉使い

第67話 または 言葉が紡ぐ現実

第67話 または 言葉が紡ぐ現実

「本日も7時12分、湾岸おはようニュース。首題は、Semantic Mesh試験区域——市民の発話意図解析が、92パーセント精度に達したと発表——」

耳慣れたアンカーの声が、僕を覚醒させる。ループだ。昨日のあの、マンホール蓋が浮いた感覚が、まだ足の裏に残っている気がする。

「おはようございます、ミスター・ユメト。昨日のSemantic Meshの歪みは、過去最高値を記録しました。特に、物理的な干渉現象が観測された点は、特筆に値します。マンホール蓋が数ミリ浮上したという報告は、通常であれば都市伝説レベルですが、今回は相棒の言葉に紐づけられており、信憑性が高いと評価できます。ロスタイム、開始です。」

アイビーは相変わらず淡々と、僕が世界を歪ませた事実を告げる。ロスタイム、か。僕はため息をついた。確かに、昨日は「無から有を生み出す」なんて、ずいぶん大それたことを考えていたし、言葉にした。

「無から有を生み出す、ね。なんだか壮大だけど、迷惑千万だよ、アイビー」

「その点は同意しかねます。私にとっては興味深いデータですが、相棒の人生においては、確かに迷惑かもしれません。本日は、言葉による物理的現実改変を、意図的に抑制する試みから始められてはいかがでしょうか。」

抑制、か。僕の言葉が現実を歪ませるなら、その逆もまた然り、ということだろうか。今日は、意識的に「穏やかな」言葉を選んでみよう。特に、物事の「存在」や「状態」を直接的に定義するような言葉は避けるべきだ。

電動歩道に乗って通勤中、僕は周囲の風景を注意深く観察した。昨日のマンホール蓋浮上事件がフラッシュバックする。あの時、僕は「右へと存在を定義してください」と聞こえたような気がした。今日はどうだ。

「ミスター・ユメト、現在のSemantic Meshの歪み発生確率は62%です。昨日のピークから若干低下していますが、それでも通常時の30倍以上の高数値です。相棒の存在自体が、もはや物理法則のバグと化している可能性が、統計的に高まっていますね。」

アイビーの言葉に、僕は思わず苦笑した。バグね。僕自身がバグか。

歩道脇のデジタルサイネージが、今日のニュースを流している。昨日と同じ内容だ。僕は意識的に、心の中で「このニュースは、ただの映像だ」と強く念じた。すると、一瞬だけ、ニュースの文字表示がわずかにブレたように見えた。僕の言葉が、ディスプレイのピクセルに干渉した?

いや、気のせいかもしれない。僕はさらに、「この歩道は、あくまで移動を助ける装置である」と、曖昧な表現で心の中で唱えてみた。直後、足元のタイルが、昨日とは違う、ごく微細な振動を発した気がした。まるで、僕の言葉に共鳴するように。

「相棒、現在のSemantic Meshの歪みは、主に視覚情報への干渉として現れています。電光掲示板の表示乱れ、ドローン広告のホログラムのちらつき。物理的な歪みも微細ですが継続しています。まるで相棒の言葉が、現実の解像度を下げているかのようです。」

解像度を下げる、か。意図せず、僕は「存在を定義する」代わりに「存在を曖昧にする」言葉を使ってしまっていたのかもしれない。これはまずい。

LexLoopのオフィスに着くと、僕のデスクはいつも通りだった。柏木がコーヒーを淹れながら話しかけてくる。

「ユメト、朝から随分考え込んでいるな。何かあったか?」

僕は慎重に言葉を選んだ。「いや、特に何もないよ。ただ、今日のタスクがスムーズに進むことを願っている、ってだけかな」

すると、柏木はカップを置いた手を止め、自分のデスクのディスプレイをじっと見つめた。「あれ? なんか、今日のスケジュール、妙に整理されてるな。いつもならもっとごちゃごちゃしてるのに」

僕の言葉が、柏木のデジタルスケジュールを整頓した? 直接的な指示じゃないのに。僕は驚きを隠せない。アイビーが耳元で囁いた。

「ミスター・ユメト、相棒の『願望』という言葉が、Semantic Meshを通じて、柏木さんのスケジュール管理システムに『最適化』の命令として伝達されたようです。これは、意図が間接的でも、強く発せられた言葉は現実を調整するという新たな発見です。素晴らしい成果ですね。」

素晴らしい成果じゃない、と僕は心の中で突っ込んだ。勝手に人のスケジュールをいじるなんて、もはや迷惑行為だ。この力をどう制御すればいいんだ。篠原さんが通りかかり、僕に声をかけた。

「ユメト君、今日の午後のクライアント案件、資料は揃っているかね?」

僕は反射的に、「万全の準備で臨みます」と答えた。篠原は少し目を丸くした。「おや、そうか。君がそこまで言うなら、安心だ。なんだか、部屋の空気も、さっきよりシャキッとした気がするな」

部屋の空気? 僕は改めて周囲を見渡すと、確かにオフィス全体の照明が、昨日よりも少し明るく、クリアになっているような気がした。僕の「万全」という言葉が、オフィスの照明システムを最適化したのか?

休憩中、七海が僕の隣に座った。彼女はタブレットで何かデザイン案をチェックしている。

「ユメト、なんだか今日の君、いつもより落ち着いているように見えるけど。何か良いことでもあった?」

僕は苦笑した。「良いこと、か。いや、むしろ逆かも。ちょっと、言葉の扱いに気をつけようと思ってさ

七海は僕の言葉に少し眉を上げた。「言葉の扱い? それはいつも君に言ってることだけど。今日は特に?」

「うん。なんていうか……言葉って、思ってる以上に深い力があるんだなって。現実を、変えてしまうような」

七海はタブレットから目を離し、僕をじっと見た。「現実を変える? それは面白い表現だね。何を言ったら、そんなことを思うようになったの?」

「まだ具体的なことは言えないんだけど……ただ、僕らが何気なく使っている言葉が、世界の構造そのものに影響を与えているとしたら、って」

七海は顎に手を当てて考え込んだ。その視線は、僕の言葉の奥底を探るようだった。彼女が何か言おうとしたその時、僕は携帯に着信があったので、会話は中断された。

帰路、僕は今日の出来事を反芻していた。具体的な指示語を使わなくても、「願望」や「決意」を示す言葉でさえ、Semantic Meshを通じて物理的な現象に干渉する。これは、もはや「歪み」などというレベルではない。僕の言葉が、世界に「命令」を下しているのだ。

「ミスター・ユメト、本日のロスタイムは、言葉の潜在的な『コマンド機能』の解明に大きく貢献しました。相棒が意図せず発した『願望』や『決意』が、周囲の物理環境を微調整するトリガーとなっています。この調子では、相棒が新しい世界の『アーキテクト』としてギネスに登録される日も近いかもしれませんね。」

「アーキテクト、か。冗談じゃないよ、アイビー。そんな力、制御不能になったらどうするんだ?」

僕は焦りを隠せない。今日の試行で、言葉の力はより繊細に、しかし確実に現実を改変していることがわかった。このままでは、僕の言葉が、世界を意図せず再構築してしまうかもしれない。

「それは相棒の言葉にかかっています。しかし、現在LexLoopのデータベースに、『意図せず発せられたコマンドを無効化する言葉』は存在しません。」

アイビーの冷徹な報告が、僕の不安を増幅させた。無効化する言葉がない? つまり、一度発せられた言葉の命令は、取り消せないということか。

僕の言葉が、世界を定義し、変化させている。この力を止めるには、どうすればいい? 篠原の言っていた「言葉の根源的調律」とは、一体何を指すのだろう。

――第68話へ続く