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言葉使い

第65話 または 現実の揺らぎ

第65話 または 現実の揺らぎ

「本日も7時12分、湾岸おはようニュース。首題は、Semantic Mesh試験区域——市民の発話意図解析が、92パーセント精度に達したと発表——」

また、この声か。壁掛けディスプレイから流れるニュースアンカーの、いつもの抑揚のない声。僕はうんざりしながら、目覚まし時計を止めた。もう習慣だ。このニュースが流れれば、また同じ一日が始まる。

「おはようございます、相棒。本日も、見慣れた朝ですね。昨日の『歪み』は現在も継続中です。現在地におけるSemantic Meshの物理的干渉確率は、朝の通勤ラッシュに比例し、既に15%に達しています。ご自身の言葉が、交通渋滞を加速させる可能性も排除できませんね。」

アイビーの声は、いつものように冷静だ。だが、その報告内容は、僕の胃をキリキリと締め付ける。「歪み」がまだ続いているのか。

「アイビー、この『歪み』って、具体的にどういう症状が出るんだ?まさか、俺の言葉が街を破壊するなんてことにはならないよな?」

「破壊の定義にもよりますが、物理的な大規模崩壊は現在のところ観測されていません。しかし、微細な情報のズレや、認識の齟齬は報告されています。例えば、デジタルサイネージの表示が0.03秒ずれる、空飛ぶバスの到着予測時間が不規則に変動する、といった軽微な現象が確認されています。相棒の思考が、物理的なエラーを引き起こしている、と判断するデータは、現在23%まで上昇しました。」

0.03秒のズレ。それは、きっと誰も気づかないほどの些細なことだろう。でも、それが自分の言葉のせいだと言われると、背筋が寒くなる。僕は自分の言葉が、街を壊す筆になるのではないかと、本気で恐れていた。

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通勤バスに乗ると、いつもと違う違和感が僕を襲った。車内のディスプレイに表示される広告が、一瞬だけノイズを走らせて次の広告に切り替わる。まるで、誰かがチャンネルを勝手に回しているかのように。

隣に座っていたビジネスマンが、スマホの画面を何度もタップしている。僕も自分のスマホを開いてみると、ニュースアプリのタイムラインが微妙にずれて表示されている気がした。最新のニュースが、古い記事の間に挟まっている。僕の目がおかしいのか、それとも本当に歪んでいるのか。

会社に着くと、七海が僕のデスクで何かを調べていた。

「ユメト君、おはよう。ちょっと顔色が悪いわよ?徹夜でもしたの?」

七海は僕の顔を覗き込むように言った。彼女はいつものようにシャープな雰囲気で、今日の「歪み」の兆候に気づいていないようだ。

「いや、別に。それより七海、なんか今日、変な感じしないか?街も、ディスプレイも、なんか……」

「え?変な感じって……気のせいじゃない?いつも通りよ。それより、あの『傾聴』のデータ、すごいわね。完全にノイズを消し去ったなんて、まさに画期的よ。」

七海の目は、僕の言葉が引き起こした良い結果だけを見ていた。悪い副作用については、まだ何も知らない。僕も、どう説明すればいいのか迷った。下手に話して、また妙な「歪み」を引き起こしても困る。

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午前のミーティングでも、小さな異変は続いた。篠原上司が話している最中、彼の後ろにあるプレゼン用大型ディスプレイが、時折チカチカと点滅する。数秒間、画面全体が薄暗くなったり、色が反転したりするのだ。しかし、誰もそれに言及しない。まるでそれが、いつものことであるかのように。

僕がプレゼン資料を映そうとPCを操作すると、普段は一発で表示される資料が、なかなか読み込まれない。アイコンがクルクルと回り続け、焦れた僕が「おい、早くしろよ!」と口に出した瞬間、ディスプレイが一瞬、真っ黒になった。そして、次の瞬間には、まったく関係のない別のプロジェクトの資料が表示されていた。

「ミスター・ユメト、現在のSemantic Meshの物理的干渉確率は38%に上昇。あなたの『早くしろよ』という言葉が、システムに『強制終了と再起動』を命令した可能性は、極めて高いと分析します。幸い、被害は軽微なものです。たぶん。」

アイビーの無機質な声が耳元で響く。幸いなことには、篠原上司も他のメンバーも、僕のディスプレイの異常には気づいていないようだった。彼らは別の資料に目をやったり、自分のデバイスを確認したりしていた。

僕は汗が噴き出すのを感じた。本当に、僕の言葉が現実を歪ませている。このままでは、いつか取り返しのつかないことになるかもしれない。

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会社からの帰り道、街の「歪み」は一層顕著になっていた。空に浮かぶホログラム広告は、常に揺らめき、文字が読みにくい。電動歩道は、時折わずかに速度が変動し、人々がバランスを崩しかけている。道の角にあるカフェのメニューボードも、ドリンクの名前が勝手に別の名前に切り替わったりしていた。

「アイビー、この歪み、どうにかできないのか?このままじゃ、本当に街がめちゃくちゃになるぞ。」

僕は焦りを隠せない。

「現在、Semantic Meshの歪みは、あなたの言葉によって引き起こされる物理的現象として観測されています。修正方法に関するデータは不足していますが、仮説はあります。言葉が現実を歪ませたのであれば、言葉でそれを修正できる可能性は、99%以上です。」

「言葉で……どうやって?」

「具体的な方法は、まだ不明です。しかし、歪みを引き起こしたあなたの言葉の『意図』に、直接影響を与える必要があるでしょう。例えば、ある言葉が何らかの現象を引き起こしたと仮定した場合、その現象を打ち消す、あるいは修正する対となる言葉を見つける必要があると推測します。」

対となる言葉……? まるで魔法の呪文を探すような話だ。でも、アイビーが言うなら、そうなのかもしれない。僕は自分の言葉が引き起こしたこの厄介な状況を、自分の言葉でどうにかしなければならないのだ。

果たして、僕は「歪み」を修正する「対の言葉」を見つけることができるのだろうか。それとも、このまま街は、僕の言葉によってゆっくりと、しかし確実に崩壊していくのだろうか。

――第66話へ続く