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言葉使い

第59話 または 再定義の朝

第59話 または 再定義の朝

「本日も7時12分、湾岸おはようニュース。首題は、Semantic Mesh試験区域——市民の発話意図解析が、92パーセント精度に達したと発表——」

寝室の壁面ディスプレイから、聞き慣れたアンカーの声が流れてくる。またこの朝か。僕は重い瞼をこすりながら、枕元のイヤーバディをタップした。

「相棒。また、このニュースか。あれ?でも、なんか違うような……」
僕はぼんやりと呟く。頭の片隅には、昨夜(いや、数分前か?)のアイビーの声が残っていた。「残された時間は、あと3時間27分です」と。

「ミスター・ユメト。この状況を『また』という一言で片付けるのは、現状の複雑性を矮小化しすぎです。確かに時刻は7時12分。しかし、これは通常の誤用リセットによるループではありません」
アイビーの声は、いつものように冷静だったが、その情報には有無を言わせぬ重みがあった。

「え? じゃあ、何なんだよ、このループは?」
僕は飛び起きる。いつもなら、僕の言葉の誤用が原因でリセットされるはずだ。

「Semantic Meshの再定義プロセスが、前回のループで『再定義失敗』と判定され、システム全体に負荷をかけました。その結果、システムは強制的に最も安定していた初期状態、つまりこの7時12分にリブートされたのです。特定の言葉によるトリガーではなく、システム自体のエラーです」
「つまり、僕の言葉のせいじゃない、ってことか?」
「正確には、ミスター・ユメトの言葉選びの『雑さ』が、Semantic Meshの脆弱性を露呈させた、と言えるでしょう。根本原因は相棒にあります。現在の『再定義失敗』により、言語レイヤーは不安定化の一途を辿っています。残された時間は、あと3時間5分です」

アイビーは淡々と告げた。3時間5分。前回の3時間27分から、もう22分も減っている。システム強制リブート。それはまるで、僕が寝ている間に、世界が自動的に『再起動』したようなものだ。

「このまま言語レイヤーが無意味な単語の羅列として固着すれば、LexLoopの事業どころか、人類のコミュニケーションそのものが機能不全に陥ります。これは、相棒にとっての最終試験です

アイビーの言葉に、僕は背筋が凍った。最終試験。僕の雑な言葉選びが、こんな事態を引き起こすとは。いや、もしかしたら、僕だけじゃない。Semantic Meshが不安定化したことで、街中のあらゆる言葉が影響を受けているのかもしれない。

僕は着替えを済ませ、空飛ぶバスの乗り場へ向かう。いつもなら整然と並ぶデジタルサイネージの広告が、今日は奇妙な挙動を見せていた。文字が部分的に欠け、意味不明な記号に置き換わっている。

「『未来を創造する言葉』……のはずが、『未来を創造?する記号』になってるな」
「Semantic Meshの意図解析精度は、現在68パーセントまで低下しています。このままでは、情報伝達が『意思疎通のジェスチャー』に退化する可能性も否定できません。相棒、通勤途中にも関わらず、既に言語的な『非常事態宣言』が発令されていると認識してください」
アイビーの冷徹な報告が耳に響く。本当に、世界の言葉が壊れていくのかもしれない。

LexLoopのオフィスビルに到着すると、エントランスの受付AIまでが、どこかぎこちない。挨拶の音声が途切れ途切れで、ディスプレイに表示される案内も、時折、文字化けする。

「おはよう、七海」
僕がデスクに座ると、隣の七海が、ディスプレイを凝視していた。彼女の眉間に深い皺が寄っている。

「おはよう、ユメト。……Semantic Mesh、調子悪いわね。昨日の午後から、ずっとおかしい。社内のコミュニケーションツールも、メッセージの意図が読み取れなくて、変な誤解が生まれてる」
七海の声には、いつになく焦りの色が混じっていた。彼女は僕の言葉の粗雑さをいつも指摘するが、ここまで明確に『言葉』そのものの異常を訴えるのは初めてだ。

「実は、これ……俺の、いや、僕のせいかもしれない」
僕は正直に打ち明けようとした。しかし、七海の表情が、一瞬で凍り付いたのが分かった。
「ユメト、まさか、また何か余計なことをしたわけじゃないでしょうね?」

七海の言葉は、まるで鋭い氷の刃のようだった。僕の言葉選びが、このループの鍵となる。僕は慎重に言葉を選び直した。
「違う。そうじゃない。これは……Semantic Meshのシステム全体の問題で、その……再定義が必要なんだ。僕の言葉が、その引き金になったかもしれないけど、今はどうにかしないと、世界中の言葉が意味を失ってしまう」

七海は僕の言葉をじっと見つめた。彼女の目が、僕の言葉の奥にある『意図』を探っているのがわかる。僕は、この異常な状況を、彼女にどう説明すれば信じてもらえるのか、必死で考えていた。この3時間足らずで、僕が「世界の言葉を救う」なんて、誰が信じるだろう。

「世界の言葉、ね……」
七海は小さく呟いた。その声には、まだ疑念が残っていたが、以前のような絶対的な不信感は感じられない。少なくとも、僕の言葉の『重み』は、いくらか伝わったようだった。

「再定義、ね。具体的に何をすればいいの?」
彼女が尋ねる。その問いは、僕への信頼と、事態への危機感の現れだった。

「『核となる言葉』が必要なんだ。Semantic Meshが安定するような、強い意図を持った言葉。それを、システムにインプットする」
僕は、アイビーから得た仮説を七海に伝えた。言葉が力を持ちすぎるからこそ、その力をコントロールする『核』が必要なのだ。

「核となる言葉……そうね。でも、そんな言葉、どうやって見つけるの? 私たちには、その手がかりがなさすぎるわ」
七海は腕を組み、考え込む。その時、オフィスの壁面サイネージが、再び激しく点滅し始めた。意味不明な文字の羅列の中に、警告めいたフレーズが浮かび上がる。

「警告:言語レイヤー、共鳴暴走。タイムリミットまで、残り2時間30分」

時間が、容赦なく削られていく。僕には、言葉の再定義に向けた、新たな試行が求められていた。そして、そのヒントは、きっと七海の言葉の奥に隠されているはずだ。いや、僕自身の、これまでのループで『成功』してきた言葉の中にある。

「ミスター・ユメト。猶予は、さらに減少しています。『共鳴暴走』は、予測よりも速度を増している模様。早急に、『核心』を見出す必要があります」
アイビーの声が、焦りを煽る。僕は、これまでのループで、人々を動かしてきた言葉、そして、七海を納得させてきた言葉を、必死で思い返していた。その中に、きっと『核となる言葉』が隠されている。

――第60話へ続く