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言葉使い

第57話 または 再定義の言葉

第57話 または 再定義の言葉

「本日も7時12分、湾岸おはようニュース。首題は、Semantic Mesh試験区域——市民の発話意図解析が、92パーセント精度に達したと発表——」

寝室の壁掛けテレビから、いつものアンカーの声が流れてくる。しかし、今日はその声が途切れ途切れで、画面のテロップも時折乱れている。まるで、砂嵐の中に映像が紛れ込んだようだ。それでも、僕ははっきりと理解する。また、あの朝だ。

「おはようございます。ミスター・ユメト」
アイビーの声が、イヤーバディから聞こえる。いつもより少しだけ、ノイズが混じっているような気がした。
「Semantic Meshの言語レイヤーの不整合は、早朝から進行中です。ニュース番組のスクリプト解析結果、単語の欠落率が平均12%上昇。これは、通常の放送事故の約5倍に相当します」

僕はベッドの上で伸びをする。昨日の夜、サイネージが異常なメッセージを流していたことを思い出す。言語レイヤーの機能不全。都市から『言葉』が失われる? まさか、と思っていたが、この朝のニュースを見る限り、冗談ではないらしい。

「おいおい、朝からこれかよ……まるで世界の言葉がバグってるみたいじゃねえか」
「その表現、統計的に極めて正確です。たぶん」
アイビーは相変わらず無機質だが、その『たぶん』に、若干の諦めのようなものが透けて見えた。そんなことはない。僕の相棒が諦めるはずがない。

電動歩道で通勤する。いつもの通勤風景のはずが、今日はどこかおかしい。サイネージ広告は文字化けし、空飛ぶバスのアナウンスも「まもなく、再構築により、言語が到着します」などと、意味不明な接続詞を挟む。

人々も言葉に詰まっている。隣で電話しているサラリーマンは「ええ、あの件は、ええと……調律……なので、はい」と、不自然な単語を挟んでいた。

「Semantic Meshの『再定義』は、現在、ユーザーの出力インターフェースにも影響を及ぼしています。特に、意図の曖昧な発話に対して、システムが独自の解釈を適用し、意図しない単語を生成する傾向があります」
アイビーが状況を説明する。
「これは、 Semantic Meshが言語の『再定義』を試みている過程で、最も整合性の低い部分から崩壊しているためと推測されます。その整合性の低い部分とは——」

「俺の発話履歴が最も合致するんだろ? 異論は認めない、とか言い出すんだろ、相棒」
僕が先回りして言うと、アイビーは一瞬の間を置いた。
「……お見通しですか。残念です。私の毒舌の機会が失われました。しかし、事実はその通りです。統計的に、相棒の発話履歴が最もそのカテゴリに合致します」

LexLoopのオフィスに着くと、受付AIが「ようこそ、LexLoopへ。言語レイヤーが……お待ちしております」と、途切れ途切れに歓迎してくれた。もはや笑うしかない。

柏木が自分のデスクで頭を抱えている。「おい、ユメト! これ、どういうことだよ? うちの翻訳ツールが急にデタラメを吐き始めたんだが! 『ご査収ください』が『再構築、完了すべし』とかになってる!」

篠原上司が僕の顔を見るなり、鬼の形相で詰め寄ってきた。「ユメト君、君はSemantic Meshの件に詳しいだろう。一体何が起きている? クライアントからのクレームが殺到しているんだが、こちらのシステムがまるで機能しない! 君の言葉が原因か?」

「僕の言葉が原因か?」
思わず、篠原上司の言葉を繰り返してしまった。その時、七海が僕のほうへ近づいてきた。彼女は落ち着いた様子で、一枚のメモを僕に見せる。

そこには「再構築の言葉」「調律の言葉」と書かれていた。七海は僕の目を見て、静かに言った。
「ユメト、この状態は、あなたが『言葉』について、何をどう理解しているかに直結しているはずよ。Semantic Meshは、あなたの言葉に反応して、都市の言語レイヤーを『再定義』しようとしている。まるで、あなたが世界の言葉を書き換えているみたいに」

「俺が? いや、そんな馬鹿な……」
僕は動揺を隠せない。世界の言葉を書き換えるなんて、そんな大それたことができるはずがない。

「考えてみて。あなたがループを抜けた時、Semantic Meshは一度『調律』されたでしょう? でも、その後のあなたの言葉が、また不整合を起こしているとしたら?」
七海の言葉が、僕の胸に重くのしかかる。確かに、ループを抜けた後、僕は少しばかり調子に乗っていたかもしれない。自分の言葉が現実を動かすことに慣れてしまい、再び曖昧さや無責任な発言を繰り返していた節がある。

「どうすればいいんだ、アイビー?」
僕は助けを求めるように、イヤーバディに語りかけた。
「現在の状況は、相棒がSemantic Meshに『整合性の高い言葉の定義』を供給できていないためと推測されます。具体的には、『嘘』『曖昧さ』『無責任な断定』といった要素が、システムの再構築を誘発している可能性が98%です」

アイビーの言葉は、まるで僕の心を見透かしているかのようだった。その通りだ。僕はあの時、ループから解放された安心感から、またぞろ適当な言葉を使い始めていた。

「つまり、もっとちゃんとした言葉を使えってことか?」
「その通りです。ただし、『ちゃんとした』という表現は、現在のSemantic Meshにおいては『整合性の高い、真実に基づいた、責任を伴う明確な意図』と定義されます。相棒、今、あなたに求められているのは、言語の『再定義』です」

言語の再定義。それは、僕自身の言葉を再定義することに他ならない。僕の言葉が、都市の言葉を、世界の言葉を動かしている。その重みが、今、僕の肩にずっしりと乗し掛かる。

オフィスの壁面サイネージが、さらに激しく点滅し始めた。意味不明な文字の羅列の中に、不穏なフレーズが浮かび上がる。
再定義失敗」「言語レイヤー、最終調整へ

「 Semantic Meshの再定義プロセスは、タイムリミットに近づいています。このままでは、言語レイヤーは、『無意味な単語の羅列』として固着する可能性が、予測されました。残された時間は、あと3時間27分です」
アイビーの報告に、焦りが募る。無意味な単語の羅列として固着。それは、まさに僕の雑な言葉選びが招いた結果に他ならない。

「無意味な単語の羅列……まるで俺の頭の中みたいだな」
「その自虐は、現在の危機において、全く生産的ではありません。ただし、自己認識としては、及第点です。さて、相棒。世界の言葉を救うか、それとも、このまま混沌に委ねるか。選択は、あなたの『言葉』に委ねられています。カウントダウンは、すでに始まっています」

僕に残された時間は、わずか3時間27分。この時間内に、僕は Semantic Meshを、そして世界の言葉を救わなければならない。そのためには、僕自身の言葉を、根本から見直す必要があった。

これは僕の、そして世界の言葉の再定義に向けた、新たなループの始まりなのかもしれない。

――第58話へ続く