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言葉使い

第55話 または 誘導の反動

第55話 または 誘導の反動

う、うわぁ……。またこの声だ。
寝室の壁面ディスプレイが自動起動し、『湾岸おはようニュース』のアンカーが、お約束のフレーズを淀みなく紡ぎ出す。

「本日も7時12分、湾岸おはようニュース。首題は、Semantic Mesh試験区域——市民の発話意図解析が、92パーセント精度に達したと発表——」

頭の中で、アイビーの落ち着いた声が響く。
「ミスター・ユメト、おはようございます。昨夜、日付変更とともにループがリセットされました。前回の誘導効果は88%を記録。これまでの最高値です。LexLoop周辺地域のSemantic Mesh『秩序』が完全に再構築される確率は99%を維持しています。目覚めはいかがですか?」

「いかがもなにも、胃がキリキリしてるよ、相棒。99%って、もう確定じゃんか」
僕が寝返りを打つと、シーツがごわつく。
「『神』が起床されたようです。再構築まで、残り24時間を切りました。朝食は摂りますか? 統計では、危機的状況下での食事は、精神安定に一定の効果があるとのデータが出ております」

「皮肉もそこまで行くと清々しいな。いや、食欲ない。Semantic Meshの再構築って、具体的に何が起きるんだ? 都市の言葉がめちゃくちゃになるってことか?」
「要約すれば、概ねその通りです。ただし、単なる混乱ではありません。相棒の言葉が、都市の共通言語レイヤーに、非常に強い『意図』として刻み込まれる可能性を指します。いわば、都市のOSが相棒の『方言』に染まる、とでも申しましょうか」

……方言? 僕の方言で都市のOSが上書きされるって、冗談キツイにも程がある。

空飛ぶバスに乗り込むと、車窓から見えるデジタルサイネージの広告が、心なしかいつもと違う。
「未来へ、飛べ。空前絶後の、本質を!」
「今すぐクリック。あなたの価値を、再定義!」
前回の柏木やクライアントの言葉を思い出すような単語が、やけに目につく。

「広告のキーワードに『本質』や『価値』の出現頻度が、通常時より17%増加しています。Semantic Meshの再構築の兆候と考えられます」
アイビーが淡々と告げる。
「くそ、もう始まってるのか」

##

LexLoopのオフィスに着くと、篠原部長が僕らを待っていた。
「ユメトくん、七海さん。ちょっといいか」
彼の表情は、前回よりさらに険しい。僕らの言葉が招いた「誘導効果」について、彼も詳細なレポートを受け取っているはずだ。

「例のクライアントからの件だが、彼らはまた『本質的な価値』という、不可解な要求を繰り返してきた。しかも、今回はさらに具体的な『価値創造のプロセスを可視化しろ』だと」
篠原部長は腕を組み、鋭い視線を僕らに向ける。
「君たちの関与について、何か説明はあるか?」

「部長、その件ですが……」僕は慎重に言葉を選ぶ。「私たちが意図的に何かを『誘導』したわけではありません。ただ、私たちが用いた特定の『言葉』が、 Semantic Meshの特性上、過剰に『影響』を与えてしまった可能性は否定できません」
「ほう、『影響』か」篠原部長は訝しげに眉を上げる。「しかし、その『影響』が、クライアントの要求を大きく変質させているとすれば、それはもはや『誘導』と何ら変わりないのではないか?」

「言葉の定義については見解の相違があるかもしれませんが、ミスター・ユメトの『影響』という表現は、現状を穏便に説明する上で、統計的に有効な選択です。篠原部長が『誘導』と断定する確率は、この選択により35%低下しました」
アイビーが耳元でささやく。35%低下って、まだ65%も疑われてるってことか。

「私としては、Semantic Meshのシステム的な特性が、私たちの意図を超えて作用したと考えております」と、七海が冷静に付け加えた。「この現象について、さらに深く調査を進める必要があるかと」
七海の言葉は、篠原部長の疑念を少しだけ和らげたように見えた。

「分かった。引き続き調査を進めてくれ。だが、くれぐれも言葉の選定には細心の注意を払うように。君たちの『言葉』が、今や都市に甚大な影響を与えかねないことを、肝に銘じておいてくれ」
篠原部長はそう言って、重い足取りで去っていった。

「ふぅ……」僕は安堵の息をつく。「助かったよ、七海」
「助かるも何も、事態は悪化の一途を辿っているわ。 Semantic Meshの『再構築』って、具体的に何が起きるのかしら?」

僕と七海は、社内カフェテリアの隅の席で向かい合った。
「アイビーの言う『方言に染まる』ってのが、いまいちピンとこないんだ」
「つまり、私たちの言葉遣いが、都市の基盤システムに優先的に反映されるようになる、ということよ。例えば、私たちが『効率』という言葉を強く意識すれば、街中のAIやシステムが、その『効率』を最優先するようになる。良くも悪くも、私たちの『言葉』が、都市の行動指針になってしまうのよ」
七海は眉をひそめる。彼女の顔には、はっきりとした危機感が浮かんでいた。

「そんなの、まるで僕らが都市の神様にでもなったみたいじゃないか」
「神、ですか。ミスター・ユメトのその発言は、自己認識としては妥当な可能性があります。ただし、神の多くが最終的に崇拝対象から罰の対象に転じる確率も、無視できない高確率で存在します」
アイビーの毒舌が冴えわたる。まったく、相棒はこういう時に限って冷静なんだから。

「でも、僕らが意識的に言葉を選べば、その『再構築』を止めたり、あるいは良い方向に導いたりできるってこと?」
「可能性はゼロではないでしょう。ただ、これまでの『誘導効果』の数値を考えると、無意識の言葉選びすら危険なレベルに達している。それに、一度『再構築』が始まってしまえば、元に戻すのは至難の業よ」
七海はそう言って、自分のデスクに戻っていった。

##

柏木が僕のデスクにやってきた。
「ユメト、ちょっといいか?」
彼は前回のループで僕の「本質的な価値」という言葉に誘導され、その話題を篠原部長に持ち込んだ。今回はどう言葉を選ぼうか。

「おう、柏木。どうした?」
僕は「本質」や「価値」といった言葉を避け、ごく一般的な返答を心がける。
「いやさ、先日話してたさ、クライアントの件。俺も色々考えてみたんだけど、結局、一番大事なのってさ、具体的な成果だよな」

「具体的な成果?」
「そう。どれだけ『本質』がどうとか言っても、結局、売上が伸びなきゃ意味ないだろ? 効率的に、確実に、数字を出す。それが一番の『価値』だと思わないか?」
柏木は前のめりになって語る。おお、今回は「具体的な成果」に誘導されたか。

「確かに、目の前の成果は大事だよな」
「だろ? だからさ、俺、今回の案件では、まず成果を出すための効率的なプロセスを提案しようと思うんだ。どうしたらもっとシンプルに、速く、ゴールにたどり着けるか」
柏木はそう言って、活き活きと自分の意見を語り始めた。

「今回の柏木氏の『具体的な成果』『効率的なプロセス』への発言は、ミスター・ユメトの先ほどの返答に、Semantic Meshが強く反応した結果です。誘導効果は62%。『本質的な価値』への誘導を回避し、別の方向へ転換させることに成功しました。しかし、これで事態が好転したわけではありません」
アイビーの声はどこまでも冷静だ。

##

午後の休憩時間、僕は気分転換にオフィスの外に出た。 LexLoopが入居するビルのエントランスには、巨大なデジタルサイネージが設置されており、通常は都市のニュースや企業の広告が流れている。

しかし、今日のサイネージは様子がおかしい。
「速報! Semantic Mesh、再定義を開始。都市の言葉が……変容する」
「緊急警告! 公共AIシステム、意図不明なコマンドを受信中!」

スクロールする文字は、まるで故障したかのように、意味不明な単語やフレーズを羅列し始める。その内容は僕の言葉、そして僕が最近考えていたことと、どこか奇妙にリンクしているように感じられた。

「これは……」
「ミスター・ユメト。 Semantic Meshの再構築が、本格的に進行を開始したと判断されます。現在、都市全体の公共AIシステムにおいて、言語処理の不整合が確認され、サービスの一部が停止または異常動作を起こしています」
アイビーの声に、さすがに焦りの色が混じったように聞こえた。
「このペースで進行した場合、今後6時間以内に、 LexLoopのコアシステムを含む、湾岸エリア全域のSemantic Mesh接続が不安定化し、最悪の場合、言語レイヤーの完全な機能不全に陥る可能性があります」

言語レイヤーの完全な機能不全? それはつまり、都市から「言葉」が失われるってことか?
僕はサイネージを見上げた。そこには、意味を失った文字の羅列が、まるで僕の罪を告発しているかのように、チカチカと点滅を繰り返していた。

――第56話へ続く