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言葉使い

第55話 または 再構築の予兆

第55話 または 再構築の予兆

「篠原部長、それは……」

僕は七海と顔を見合わせた。部長の視線が、僕らの内心を丸裸にするように突き刺さる。僕らが言葉使いの実験をしていることは知っているだろうが、それが都市のインフラを巻き込むレベルの事態になっているとは、さすがに想像もしていないだろう。

「Semantic Meshの秩序が再構築される? アイビー、それって具体的にどうなるんだ?」

脳内でアイビーの声が響く。相変わらず感情の起伏がない。

「ミスター・ユメト、統計解析によると、LexLoop周辺のSemantic Meshは現在、高強度の意図共鳴現象に見舞われています。これは、いわば都市の『言語中枢』が、異常な負荷と再定義のプロセスに入っている状態です。最も近い比喩としては、脳外科手術中に患者が覚醒し、自らの言葉で脳の機能を再配線しているようなものです。ただし、その患者の言葉は、相棒が発したものです」

「つまり、僕の言葉が都市のシステムを乗っ取ってるってことか……?」

「乗っ取り、という表現は語弊があります。相棒の言葉が、Semantic Meshの『意図の優先順位』を再評価し、その結果として『秩序』が書き換えられつつある、と表現するのが適切です。現時点での進捗は、既に12%に達しています。このペースでは、あと20時間でLexLoopのサービスが、相棒の言葉の『意図』に最適化されるでしょう。結果として、周囲の人間は相棒の意図を無意識に汲み取り、それを行動に移す可能性が高まります。例えば、全員が突然、蕎麦を注文し始める、といった事態も想定されます」

蕎麦? そんなくだらない結果になるのか? いや、蕎麦どころじゃない。もし僕が「仕事をサボりたい」とでも思えば、都市全体がサボり始めるのか?ゾッとする。

「蕎麦の例は、相棒の言語選択と意図強度の履歴を鑑みた場合、発生確率が最も高いシナリオの一つです。ご安心ください」

「安心できるか!」

篠原部長は僕らの動揺を訝しげに見つめている。

「ユメト君、七海君。何か心当たりがあるなら話してほしい。このSemantic Meshの異常、君たちの『言葉使い評価API』と関係があるんじゃないのか?」

部長は鋭い。もちろん、関係大ありだ。もはや隠しきれるレベルではない。

「部長、正直に申し上げます」七海が僕より先に口を開いた。「私たちのプロジェクトが、意図せずSemantic Meshに過度な影響を与えてしまっている可能性があります。特に、ユメト君の言葉が……」

七海がちらりと僕を見る。僕は頷くしかない。全てを話すわけにはいかないが、少なくとも今起きている事象については共有する必要があるだろう。

「僕らの『言葉使い評価API』は、Semantic Meshの意図強度を増幅させる効果があります。それが、クライアントへの説明で……想定以上の影響を及ぼしてしまったようです」

「想定以上、だと?  Semantic Meshの再構築など、前代未聞だぞ! それはつまり、この街の言語インフラが、君たちの手によって書き換えられかねないということか?」

篠原部長の声が一段と低くなる。彼は怒っているが、それ以上に危機感を感じているようだ。当然だ。もし、都市の言語インフラが「蕎麦を注文する」レベルで書き換えられたら、社会システムは崩壊する。

「アイビー、再構築を止める方法はないのか?」

「システムログを解析中ですが、現時点では、 Semantic Meshの『コア』への直接介入は極めて困難です。最も現実的な方法は、相棒の言語活動を完全に停止するか、あるいは、再構築を上書きするほど強力な『秩序の言葉』を発することです。後者の成功確率は、現状で0.01%です」

0.01%……絶望的だ。言葉活動を停止する、つまり、僕が喋らなくなる? それでは仕事にならない。

「『秩序の言葉』とは?」七海が訊ねる。

「Semantic Meshの『秩序』とは、都市に存在する全ての言語意図の調和と安定を指します。これを再構築する力を持つ言葉は、おそらく『普遍的な合意』や『調和への強い願望』を内包するものでしょう。例えば、相棒が、全員が蕎麦を注文する代わりに『全員が平和に暮らす』と強く願望を表明する、といったものです。ただし、その『願望』は、相棒の『本質』と一致している必要があります」

「僕の本質?」

「はい。統計上、相棒の『本質』は『楽をしたい』、次に『美味しいものが食べたい』、そして『七海さんと仲良くなりたい』となっています」

「おい、最後の余計だ!」

七海は微かに顔を赤らめている。部長は眉をひそめて僕らを見ている。

「いいか、ユメト君。これは一刻を争う事態だ。君たちのプロジェクトは一時凍結する。そして、この事態を収拾するための対策を、今すぐ見つけ出すんだ。 LexLoopの未来がかかっている」

部長はそう言い残し、急ぎ足で自席に戻っていった。残された僕と七海は、顔を見合わせる。

「ユメト君、どうする? このままだと、本当に都市が蕎麦に支配されちゃうかもよ?」

七海は冗談めかして言ったが、その目には真剣な光が宿っていた。蕎麦の例は笑えるが、本質は笑えない。僕の言葉が、都市を、社会を、無秩序へと導く可能性があるのだ。

「アイビー、『秩序の言葉』の成功確率を上げる方法はないのか?」

「確率を上げるためには、相棒の『本質』を『秩序』に合致させるか、あるいは、『秩序の言葉』の『意図強度』を極限まで高める必要があります。後者に関しては、相棒のこれまでの『誘導効果』の傾向から見て、特定の人物との『深い共鳴』が鍵となる可能性が示唆されています。具体的には……七海さんとの『共振』です」

深い共鳴、共振。それは、これまでの僕らが経験してきた「言葉共振」の、さらに先の現象なのだろうか。そして、その相手が、七海だというのか。

僕と七海は、再び顔を見合わせた。都市を救う「秩序の言葉」が、僕らの、特に七海との「共振」にかかっているというのか。

――第56話へ続く