第6章 第6部
「本日も7時12分、湾岸おはようニュース。首題は、Semantic Mesh試験区域——市民の発話意図解析が、93パーセント精度に達したと発表——」
耳慣れたはずの、しかし少しだけ変化したニュースの声で目が覚めた。昨日はループ回避できたんだ。92%から93%。たった1%だけど、僕にとっては大いなる前進だった。ベッドから起き上がると、壁掛けディスプレイに映るキャスターが、いつもより少しだけ明るく見えた気がした。
「おはようございます、ミスター・ユメト。本日はロスタイムなし、おめでとうございます」
アイビーの声がイヤーバディから響く。乾いた事務的な口調だが、その中にかすかな『肯定』のデータが混じっているような気がした。気のせいだろうか。
「ああ、アイビー。ありがとう。昨日のは、結局なんだったんだ?『共鳴』ってやつ」
「『共鳴』の解析は継続中です。しかし、現在のところ、その現象が直接的な危険因子であるとの結論には至っておりません。むしろ、ミスター・ユメトと七海さんの間に発生した、高レベルの『意図の同期』と解釈するのが、現時点での最適解です」
「同期……やっぱりSFみたいだな。それって、良いことなのか?」
「統計的に見れば、通常の『共感』反応よりも、対象間のコミュニケーション効率が向上する可能性を示唆しています。ただし、制御不能な共鳴は、予期せぬシステムの不安定化を招くリスクもゼロではありません」
相変わらず危機を矮小化するアイビーの言葉に、少しだけ気が抜ける。でも、今回はループしなかった。それが何よりの収穫だ。僕はシャワーを浴びながら、七海の顔を思い浮かべた。あの「共鳴」が、今日の彼女にどう影響するんだろう。
***
出社すると、いつものようにデスクで柏木がコーヒーを淹れていた。
「お、ユメト。おはよう。なんか、今日はお前、調子良さそうだな」
柏木の言葉に、僕は少し驚いた。これまでのループなら、「なんか元気ね」とか「また寝癖ついてるぞ」とか、もっと皮肉っぽい反応が多かったのに。僕の言葉選びが、彼の態度まで変えているのだろうか。
「ああ、おかげさまで。今日は調子いいよ」
僕は自然な笑顔で返した。Semantic Meshの反応は特になし。まだ「共鳴」とまではいかないようだ。デスクに着き、今日のタスクを確認する。午前中には、先日難航したクライアントとのオンラインミーティングが控えている。
しばらくして、七海がオフィスに入ってきた。僕と目が合うと、彼女はいつもより少しだけ早く、穏やかに微笑んだ。
「おはよう、ユメト。今日の午前中のクライアント、最終確認お願いね」
「おはよう、七海。うん、バッチリ」
七海が僕のデスクの隣を通り過ぎる時、微かに、僕のイヤーバディが振動した。アイビーからのサイレント通知だ。ログには『七海さんのSemantic Meshプロファイルに、以前よりも高いレベルでミスター・ユメトの「意図」が記録されています。これは、過去の「共感」反応とは一線を画します』と表示されていた。これが「共鳴」の余波なのか。
***
オンラインミーティングが始まった。今日のクライアントは「ハイブリッド型ワークスペースの環境音チューニング」を依頼している老舗家具メーカーだ。前回は、彼らの求める「集中とリラックスの両立」という抽象的な要求に対し、僕の言葉がうまく響かず、議論が迷走してしまった。
今回は、まず彼らの抱える「社員のストレス」という本質的な課題に焦点を当てることにした。
「貴社が目指されているのは、単なるノイズ除去ではなく、社員の方々が、『心から落ち着ける』、そして『最高のパフォーマンスを発揮できる』空間の創出だと理解しております」
僕がそう言うと、画面の向こうのクライアント担当者が、小さく頷いた。前回は、すぐに技術的な質問に飛んでいたはずだ。今回は僕の言葉に、少しだけ耳を傾けてくれている。
「弊社が提案する『LexLoop Soundscape』は、Semantic Meshを用いて、個人の心理状態をリアルタイムで分析。そのデータに基づき、最適な環境音を自動生成します。つまり、個々人の『心地よさ』に寄り添う、パーソナルな空間を創出できるのです」
僕は「心から落ち着ける」「最高のパフォーマンス」「寄り添う」といった言葉を、意図的に、しかし押し付けがましくないように選んだ。アイビーから微弱な『意図強度プラス』のフィードバックが届く。七海との「共鳴」を意識して、相手の感情に深く触れる言葉を心がけたつもりだった。
「ほう、個人の心理状態に……それは面白い。これまで多くのベンダーが『集中力向上』を謳ってきたが、御社の『寄り添う』というアプローチは、我々の求めているものに近いかもしれませんな」
クライアントの言葉が変わった。前回は「具体的な数値は?」と冷徹に返されたはずが、今回は興味を示してくれた。しかし、アイビーのログには『「共鳴」には至っていません。これは、対話相手が七海さんではないため、条件が未充足である可能性を示唆します』と表示されている。やはり、七海がキーワードなのか。
***
一日の仕事を終え、帰路につく。今日のミーティングは、前回よりはるかにスムーズに進んだ。僕の言葉が、確実に相手の反応を変えていることを実感できた。
「今日の成果は上々ですね、ミスター・ユメト。契約確度は55%まで上昇しました」
「やったな、アイビー!これは、七海との『共鳴』が関係してるのか?」
「現在のログを分析した結果、『共鳴』の現象は、単にミスター・ユメトと七海さんの言葉が『同期』するだけではない、新たな側面を示唆しています。……興味深いことに、その反応は単一の言葉ではなく、ミスター・ユメトと七海さんの『対話の構造』全体から生じているようです」
アイビーはさらに続けた。
「そして、その影響はSemantic Mesh全体の『安定値』にまで波及している兆候が見られます。具体的には、通常時よりSemantic Mesh内のデータフローが、まるで、ある特定の『意図』に導かれるように、スムーズに、しかし不可解な秩序をもって流動しているのです」
「不可解な秩序……?どういうことだ?」
「まだ仮説の段階ですが、ミスター・ユメトと七海さんの『共鳴』が、Semantic Meshの『言葉の流れ』自体を、特定の方向に『誘導』している可能性があります。まるで、都市全体の『言葉の意思決定』に、二人の言葉が影響を与えているかのように」
アイビーの言葉に、僕は立ち止まった。僕と七海の言葉が、都市全体の言葉の流れを誘導する?それは、あまりにも壮大で、そして、少し恐ろしい仮説だった。僕たちは、一体何を引き起こしているんだろう?
そして、その誘導の先には、何が待っているのだろうか。
――第52話へ続く