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言葉使い

第4話 責任を外す実験

第4話 責任を外す実験

目覚まし時計が鳴る。7:12。

テレビの音が先に来た。アイビーが、また同じ朝を流し始める。

「——本日も7時12分、湾岸おはようニュース。首題は、Semantic Mesh試験区域——市民の発話意図解析が、92パーセント精度に達したと発表——」

六回目の朝だ。五巡目の終わり、七海は電話で言った。「共感、うまい。でも、うまく言葉にしただけ?」

僕は枕の中で、天井ではなくテレビを見た。

「アイビー。今日、方針を変える」

「六巡目の候補は、ログ上、検証です。共感の深化、または——」

「違う。いつもと違うことをする」

イヤーバディが一瞬、沈黙した。

「具体的内容を、お願いします。——さぁ、と言いたいところですが、聞きます」

「洞察も、共感も、今日はやらない。毎日やってる責任——朝会の資料、Mesh日次レポート、柏木への引き継ぎ、七海への返信、全部。やらない

「……相棒。それは実験というより、放棄です。ミスター・ユメト、LexLoopの給与は、空白に対して支払われているわけではありません」

「放棄の悪影響がどれだけ広がるか、見たいんだ。ループの日、僕一人がサボれば、誰が困る? ——言葉の効果を測るなら、欠けた穴の方がはっきりするかもしれない」

「記録します。六巡目キーワード、責任の外側。——推奨しません。強く、推奨しません」

僕は起き上がった。窓の朝日は、同じ角度。今日だけ、僕は何も運ばないと決めた。

通勤の空飛ぶバス。いつもなら、この時間にLexLoopの共有チャンネルへMesh日次レポートを投げる。三巡目以降、毎回、同じフォーマットで、同じ宛先に。

今日は、スマホをポケットにしまった。

「ミスター・ユメト、9:00の朝会までに未送信の必須項目が3件あります。送信を代行しますか? ——空白の実験、ですね。承知しました。代行しません。遺憾です」

「しない。今日は空白の実験だ」

バスの窓に、配達ドローンの行列が映った。五巡目は充電案内まで手を伸ばした。六巡目——僕は見ただけで、声をかけなかった。

ドローンのランプが、赤のまま点滅し続ける。誰も声をかけない列の先頭が、ずっと待たされている。

「……一人分の空白、そんなに目立つか」

「目立ちます。あなたの普段の発話は、周辺の協調信号に影響しています。今日は、影響源が消えました。——一人分の空白、相棒。穴の形、はっきり見えますね」

LexLoop、9:07。僕は遅刻した。わざと。いつもは8:55前にデスクに着く。

朝会はすでに始まっていた。Zoomの小窓に、篠原の顔。柏木の画面は、いつもより白い。

「ユメト君、資料は?」

五巡目まで、僕は毎朝、篠原の求める要約を一枚投げていた。今日は、デスクの上に何も置いていない。

「……今日は、ありません」

会議室の空気が、一瞬だけ凍った。前のループでは、篠原は「精度が上がった」と言った。今回は違う。

「……理由は?」

「実験中です。申し訳ありません、今日に限り

篠原は目を細めた。

「LexLoopの朝会資料は、個人の実験場ではありません。——柏木君、ユメト君分のMesh補正、君の方で拾える?」

柏木の画面で、彼の手が震えた。四巡目、五巡目、僕が毎回引き取っていた部分だ。

「……はい。なんとか、します」

声が上擦っている。五巡目の終わり、七海が言った「うまく言葉にしただけ」が、胸に刺さった。僕が言葉を外したら、今度は仕事が、柏木の喉にのど仏を立てた。

朝会後、七海がデスク横に来た。Slackの未読バッジが、彼女のモニター端で赤く点滅している。

「ユメト、UI文言の確認、昨日依頼したやつ。返事、ないけど」

五巡目は「午後、見ます」と即返信した。六巡目——

「……今日は、返せません」

七海の表情が、凍るのではなく、静かに閉じた

「……わかった。じゃあ、君の担当分、私が仮文案入れる。——ただし、クライアントデモに載せるなら、責任は君のまま」

彼女は席に戻った。付箋の「共鳴」の文字が、モニター端で一瞬だけ見えた。五巡目、僕はその言葉に寄り添おうとした。六巡目、僕は繋がりごと外した

午後、クライアント通話。匿名音声。いつもなら、午前中にアイビーとリハーサルし、反論リストを三つ用意する。六巡目の僕は、何も準備していない

「——御社のSemantic連携、前回比で改善されていますね。特に、意図解析の——」

相手の声が止まった。

「……すみません、前回、と言いましたが、御社側のログ、今朝の更新が止まっていませんか?」

僕の背筋が冷えた。朝、送らなかったMesh日次レポート。それが、クライアント側の監視画面にとして出ていた。

「あ、それは——」

言葉が続かない。共感も、洞察も、使う前に、土台が抜けていた。

「LexLoopさん、我々は試験参加で、毎日の更新を前提に契約しています。止まっているなら、信頼の話になります」

通話は35%で切れた。五巡目の68%より、遥かに低い。篠原がオフィスの端で、通話ログを見ていた。

「ユメト君。これ、君一人の失点じゃない。次の案件の審査にも響く。——何をしていた?」

「……実験、です」

篠原は、却下書類の束を机に置いた。前のループでは、僕の改善でその束が薄くなった。今回は、逆だ。

「実験なら、社内でやれ。——今日、君がやらなかったことで、柏木君のデモが二回止まった。七海さんの文案が、君の名義で未検証のまま載せられた。店頭の協調信号テストも、君のレポート待ちで保留になった」

僕は、初めて数字以外の連鎖を見た。責任を外したのは、僕一人のはずなのに、穴の形は、みんな違う。

帰路。コンビニの前で、レジの青年がまた困っていた。欠品。謝罪。五巡目の僕なら、声をかけた。

六巡目——僕は、通り過ぎようとして、足を止めた。

「……今日は、関わらない、と決めたのに」

「相棒。あなたが普段送っている在庫連携ログ、今日は未送信です。この店舗は、補充予測がずれています。——小さな毎日が、ここにも届いていました。六巡目、静かな誤用、ですね」

青年が、レジ越しに僕を見た。前のループでは「助かります」と言われた目。今回は、ただ疲れている。

「……すみません、会計、遅れます」

僕は黙って、並ばなかった。責任を外した一日の、いちばん小さく、いちばらついた結末だった。

23:47。ベッドの中。アイビーが、一日のログを読み上げる。

「朝会資料:未提出。Mesh日次:未送信。七海さんへの返信:なし。クライアント契約確度19%。柏木さんの追加負荷:推定140%。——相棒、言葉を使わなかった日も、ここまで落ちるとは。遺憾です。要約すれば、相棒不在、です

「……わかってる。ループの原因は、まだ——」

「まだ、です。——帳消し、と言う前に、止まってください。括約筋、に近いです」

スマホが震えた。柏木から。音声メッセージ。

「ユメト、寝てる? ……今日、俺、さんざん恥かいた。デモ、君がいつも直してくれるところ、全部俺のミス扱いで。篠原さん、厳しかった。——明日、資料、頼む。お前、いつも送ってくれるやつ」

胸が、痛い。五巡目の共感は、隣に立つことだった。六巡目、僕は隣から消えた

返信を打とうとして、止まった。

「……ループするなら、今日の負担なんて、帳消しだろ。放っとけ、柏木。自己責任でしょ」

送信ボタンを押した瞬間、自分の言葉が金属みたいに冷えた。

イヤーバディが、赤く点滅した。

「発話、見捨てとして分類。重大誤用、検出。——相棒、責任を外した日の終わりに、人を外す言葉を選びました。ロスタイム、確定です。——おやすみなさい、と言いたいところですが、言いません」

「……あ」

意識が途切れる。

次に目を覚ました時、テレビの音が、目覚ましより先に部屋を満たした。

「——本日も7時12分、湾岸おはようニュース。首題は、Semantic Mesh——」

枕元は7:12。窓の朝日は、同じ角度。

七回目の朝が、始まろうとしていた。