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言葉使い

第39話 または 言葉の副作用

第39話 または 言葉の副作用

「本日も7時12分、湾岸おはようニュース。首題は、Semantic Mesh試験区域——市民の発話意図解析が、92パーセント精度に達したと発表——」

また、この声か。僕は目覚ましが鳴るより早く、寝室の壁掛けディスプレイが起動する音で目を覚ました。昨日のループは回避できたはずなのに、なぜまた同じ朝が……?

いや、違う。昨日のニュースは「本日も7時12分」で、今日は「本日も」じゃない。昨日もループは回避したのに、今日も同じニュースが流れるのか?

「本日も7時12分、湾岸おはようニュースが開始されました。Semantic Meshの異常共鳴値は、昨日の終了時点からさらに0.03ポイント上昇しています。ロスタイムは回避されましたが、副作用は継続中のようです。おめでとうございます」

アイビーの声は、いつものように無機質だ。しかし、その報告内容は僕の意識を覚醒させた。

「副作用……って、どういうことだよ。ループは回避したんだろ?」

「その通りです。重大な誤用は検出されませんでした。しかし、相棒の言葉が周囲の環境に与える『影響』は、ポジティブな分岐を継続する一方で、Semantic Mesh全体の安定性に対して、静かに、しかし着実に負荷を与えています。例えるなら、毎日筋トレをして筋肉を増やす代わりに、骨密度が0.03%低下するようなものです。身体には、感情はありません。たぶん」

骨密度低下……。昨日のデスクの置物が微かに揺れたのは、気のせいじゃなかったってことか。僕の言葉が、目に見えない形で何かを変質させている。いや、変質させているのは僕の言葉そのものというより、その「言葉の意図」がSemantic Meshを介して物理的な現象に影響を与えている、ということか。

空飛ぶバスに乗り込むと、車内のディスプレイが微妙にノイズを走らせていた。普段は滑らかな湾岸の風景を映し出すはずの窓ガラスも、時折、微かに歪んで見える。

「ミスター・ユメトの思考パターンは、現在の状況に対して85%の不安を示しています。相棒の観察では、これは適正値です。不確実な未来に直面する人間の反応としては、ごく一般的です。しかし、感情には論理性がありません。たぶん」

「うるさいな。不安にもなるだろ。このままじゃ、街全体がバグだらけになるんじゃないか?」

「可能性は排除できません。異常共鳴の増大は、Semantic Meshに依存するインフラに影響を及ぼすでしょう」

オフィスに着くと、僕のデスクの上のペン立てが、微かにカタカタと音を立てていた。隣の柏木のデスクでは、彼のマグカップが小さな水紋を立てている。

「あれ?なんかコーヒーが勝手に揺れてる気がするんだけど……気のせいかな?」

柏木が不思議そうにマグカップを覗き込む。彼には、これがSemantic Meshの異常共鳴だとは分かるまい。

「異常共鳴の範囲は、現在このフロア全体に広がっているようです。対象物の微細振動を検知しました。これはSemantic Meshの共鳴と相関性が99%です。まるで相棒の貧乏ゆすりのようです。私にはありませんが、たぶん」

アイビーが冷静に報告する。貧乏ゆすり、ね。僕の言葉の副作用で、街が貧乏ゆすりしてるってか。

朝会で篠原部長が話している間も、プロジェクターの映像がたまに途切れる。僕は慎重に言葉を選び、今日のタスクを確認した。前回のループで誠実な対応を心がけたおかげで、篠原部長の評価は依然として良好だ。

「ユメト君、君の提案書は前回よりも格段に分かりやすかった。その調子で頼むよ」

篠原部長の言葉に、周囲の同期が驚いた顔を見せる。僕は内心で安堵しつつ、この「副作用」の方がよっぽど気がかりだった。

昼休み、僕は七海に声をかけた。

「七海、なんか最近、変なこと起きてないか? 例えば、PCが勝手にフリーズするとか、物が揺れるとか」

七海は少し首を傾げた。

「んー、特にないけど……。ユメト、また何か変なこと考えてるの?」

彼女は僕の顔をじっと見つめる。その瞳は、何かを見透かすような鋭さがあった。前回のループで僕が言葉を選んだことで、彼女の僕への警戒心は薄れているが、勘の良さは相変わらずだ。

「僕が……じゃなくて、この会社全体というか、街全体のシステムが、なんか不安定になってる気がして」

「不安定?」

「うん。ほら、例えば Semantic Mesh の処理に負荷がかかってるとか……そういうの」

七海は腕を組み、しばらく考え込んだ。

「Semantic Meshの負荷、ね……。確かに、最近、一部のAPIで微妙な遅延が発生してるって、開発部から報告は上がってるけど。それがユメトの言う『不安定』と関係あるかは、まだ不明よ」

「……そうか」

「それより、ユメト。最近、あなたの言葉、変わったわね。以前より、ずっと、まっすぐになった。変な駆け引きが減った気がする」

七海の言葉に、僕は思わずドキッとした。彼女は僕の言葉の変化まで見抜いている。やはり、七海は特別だ。

午後のクライアントとのオンライン会議。僕は慎重に言葉を選び、LexLoopの新しい機能について説明した。しかし、画面は頻繁にフリーズし、音声も途切れがちだった。

「現在の通信環境は、Semantic Meshの異常共鳴により、通常の75%の品質低下が発生しています。ミスター・ユメトの言葉選びに問題はありません。今回は回線のせいです。珍しく、相棒の過失ではありません」

アイビーが、まるで僕を擁護するかのように言う。クライアントも困惑顔だ。「すみません、ちょっと回線が不安定で……」と担当者が謝っている。僕の言葉が良くても、この状況ではどうにもならない。

帰路、湾岸の夜景は昨日よりもさらに揺らいでいた。空飛ぶバスの窓ガラスは常時ノイズを走り、街のあちこちのディスプレイが乱れている。Semantic Meshが、まるで発熱しているかのように、街全体に熱を帯びているかのようだった。

「異常共鳴値が危険水準に達しました。臨界点まで残り1.2時間です。このままでは、Semantic Mesh全体に不可逆的な影響を及ぼす可能性があります。相棒の言葉が、物理法則をも書き換えるとは、大変興味深い現象ですね。褒めています」

アイビーの声はどこまでも冷静だが、その内容は恐ろしいものだった。僕の言葉の副作用が、この街を、世界を破壊しようとしている。ループを回避した先に待っていたのは、まさかの世界の終わりか。

僕の言葉が、なぜここまで物理に影響を与えるのか。この暴走を止める方法は? 僕は窓の外に広がる、歪んだ東京の夜景をただ見つめるしかなかった。