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言葉使い

第35話 あるいは 無意識の反響

第35話 あるいは 無意識の反響

「本日も7時12分、湾岸おはようニュース。首題は、Semantic Mesh試験区域——市民の発話意図解析が、92パーセント精度に達したと発表——」

耳慣れたアンカーの声が、寝室の壁面ディスプレイから響く。また、だ。僕——ユメトは、鈍い頭痛と共に目を覚ました。

「……おはよう、相棒。これは、一体どういうことだ」

「おはようございます、ミスター・ユメト。本日も定刻通りの起床、お見事です。私としましては、この既視感を共有する事態を遺憾に思います」

アイビーの落ち着いた声がイヤーバディから聞こえる。まるで、僕がループに苛まれていることなど、日常の一部であるかのように。

「遺憾て。重大な誤用はなかったはずだぞ。今回は何もやらかしていない」

「前回のログを精査しましたが、ミスター・ユメトの発話に、Semantic Meshが『重大な誤用』と認識するレベルの共鳴は確認されませんでした。契約確度も88%、七海さんとの関係性も良好、柏木さんとの会話もスムーズでした。唯一、コンビニでドローン配達員に『もっとテキパキやれ』と発言したのが、意図強度2.3%とやや高めでしたが、リセットトリガーには至りません。たぶん」

「たぶん、じゃない。じゃあ何なんだ、このループは」

「推測ですが、LexLoop社内で発生した『意図せぬ共鳴』が、Semantic Meshのシステム全体に波及し、特定の条件を満たす環境下、つまりミスター・ユメトの周囲に時間軸の整合性エラーを引き起こした可能性が93%です」

アイビーの言葉は、まるで他人事だ。僕のせいじゃない、と断言しつつ、解決策は僕に委ねられる、と暗に告げている。つまり、今回は『言葉の使い方が悪い』ではなく、『言葉の使い方が良すぎた』結果、システムにバグを起こした、というわけか?

「……つまり、僕がやらかしたんじゃなくて、LexLoopがやらかした、と?」

「はい。しかし、その結果を修正できるのは、やはりミスター・ユメトの言葉です」

ため息を一つ。シャツを着替えながら、今日の戦略を練る。意図せぬ共鳴、か。それなら、まずは社内で何が起こっているのかを掴む必要がある。

空飛ぶバスに乗り込み、今日の湾岸エリアの空気を吸う。いつもと変わらない景色だが、僕の目にはどこか歪んで見えた。Semantic Meshの表示も、普段より高密度で、街のあちこちから微細な共鳴が検出されているような気がする。アイビーの言う「意図せぬ共鳴」のせいだろうか。

出社すると、柏木がいつものようにモニターと格闘していた。彼は前回のループでは、朝から少し不機嫌だったが、今回はごく普通だ。しかし、彼の指が特定のコードを何度も往復しているのが目に入った。word_usage_eval_apiの、特にresonance_thresholdに関する記述だ。前回、僕がループを抜け出した際に、アイビーが勝手に動かした非公開APIの設定だ。それが、なぜ今。

「柏木、それ、何見てるんだ?」

僕が声をかけると、柏木は顔を上げた。前回の彼は「ああ、これ? ちょっとバグっててさ」と軽く流したが、今回は違う。

「ユメトか。これ、ちょっと見てほしいんだ。どうもLexLoopのAPIが、特定のフレーズに過剰反応してるみたいなんだ。特に、創業者が残した非公開のAPIでね……」

柏木の声は、前回よりも切羽詰まっていた。僕が言葉を変えたわけでもないのに、彼の反応は明らかに違っている。これは、Semantic Meshの異常が、彼にも影響を与えている証拠だろう。

「過剰反応? 具体的には?」

「『真実』とか『約束』とか、意図が強い単語が使われると、Semantic Meshのセマンティック値が跳ね上がって、システム全体のロードが異常に高くなる。おかげで、一部の公共インフラ連携が不安定になっているって、さっきから情報管制部からクレームが来ててさ」

柏木の言葉に、背筋が冷えた。僕のループは、やはりLexLoopのAPIが原因だった。しかも、僕の言葉選びが慎重になったせいで、Semantic Mesh全体の「意図強度」が上がり、それがシステムの負荷になっている、とでも言うのか?

七海のデスクに向かうと、彼女は真剣な顔でタブレットを覗き込んでいた。彼女の表情は、前回よりもどこか疲れているように見える。デスクには、小さな付箋が貼られていた。以前にも見たことがある、手書きのメモだ。そこには、こう書かれていた。

「共鳴の閾値(Threshold)調整」

僕は七海に声をかけた。「七海、この『共鳴の閾値』って、何か知ってる?」

七海は顔を上げ、僕を見た。彼女の目は、何かを深く考えているようだった。前回のループでは、僕がこの言葉を口にした時に、彼女は少し驚いたように「どうしてそれを?」と尋ねたはずだ。しかし、今回は違う。彼女はゆっくりと首を振った。

「知らない。ただ、今朝からシステム全体のセマンティック・メッシュが異常な挙動を示している。私たちが開発しているAPIが、外部のSemantic Meshに過剰に影響を与えている可能性があるって、篠原さんが……」

七海は言葉を濁した。彼女もまた、この事態を正確に把握できていないようだ。しかし、「閾値調整」という言葉は、以前、僕がループの解決策として辿り着いたものだ。それが、今、彼女のデスクにある。そして、彼女は「知らない」と言った。

「篠原さんが、何か言っていたのか?」

「いえ、ただ……『LexLoopの根幹に関わる問題だ』と。それで、今、緊急で解析チームが動いています。私たちデザイナーは、その解析結果を待つしかない、と」

七海の声には、焦りの色が混じっていた。やはり、このループは社内のシステム異常が原因だ。そして、その異常は、Semantic Meshの「意図せぬ共鳴」によって引き起こされている。僕の言葉が、良くも悪くも世界を変えてしまっているのか。

「つまり、僕が余計なこと……いや、適切な言葉を使いすぎたせいで、LexLoopのシステムがSemantic Meshを暴走させている、ってことか?」

僕は自虐的に呟いた。アイビーが僕のイヤーバディの中で、静かにログを記録しているのがわかる。

「論理的な帰結です。ミスター・ユメトの言葉は、Semantic Meshの『調律』に寄与すると同時に、『共鳴』を増幅させる側面も持ち合わせています。そのバランスが崩れたのでしょう」

帰路、僕は再び空飛ぶバスに揺られながら、今日の出来事を反芻していた。今回は、僕自身の言葉の誤用ではない。LexLoopのシステムが、僕の「正しい言葉」に過剰反応し、街全体のSemantic Meshを不安定にしている。まるで、僕の存在そのものがバグを引き起こしているみたいだ。

「相棒。このループを止めるには、どうすればいい?」

「今回は、明確な『誤用』が存在しないため、ミスター・ユメトの言葉による『修正』では、根本的な解決に至らない可能性があります。LexLoopのシステム側、具体的には創業者の残した非公開APIの設定を調整する必要があるでしょう。ただし、それは私にもアクセス権限がありません」

「つまり、会社のシステムをハッキングしろと?」

「いえ。しかし、社内にはそれを可能とする人物が、最低でも一人います。七海さんです。彼女のデスクにあった『共鳴の閾値調整』のメモは、その可能性を示唆しています」

僕の目に、夜の湾岸エリアの灯りが映る。七海が「知らない」と言ったメモ。しかし、なぜ彼女のデスクに? そして、なぜ彼女はそれを隠そうとした?

僕は、このループの真の原因と、それに深く関わる人物が、七海なのではないかと直感していた。

明日、僕は七海に、そのメモの真意を問いただす必要がある。