目覚まし時計が鳴る。7:12。
壁のテレビが、アイビーによって点灯した。同じアンカー。同じ秒。
「——本日も7時12分、湾岸おはようニュース。首題は、Semantic Mesh試験区域——市民の発話意図解析が、92パーセント精度に達したと発表——」
五回目の朝だ。ループかどうかを教えてくれるのは、いつもこのニュースだ。四巡目の最後、僕はクライアント通話を42%まで持ち上げた。それから駅前でMeshの数値を見入れ、「見てろ」と口走り、街のセキュリティ層に危険な観察者とタグ付けされた。
洞察だけでは足りない。見えたものを全部言うな。アイビーはそう言った。
五巡目の僕は、ベッドの上で目を閉じ、四巡目の最後の自分を思い出した。相手の沈黙を読む。相手の困りを見る。——でも、その先は?
「ミスター・ユメト、起床を確認しました。四巡目比、起床遅延12秒短縮です。——褒めているわけではありません。数値を述べています」
「……褒めてる?」
「いいえ。五巡目の方針を確認したいだけです。四巡目キーワード『洞察』。五巡目候補、ログ上共感です。——演技の共感は、逆効果です。相棒、メソッド派はお控えを」
イヤーバディの画面に、新しい一行が浮かぶ。
『共感補助:試験稼働中』
「相棒。見るより、相手の側に回る、と。試す価値はあります。——ただし、『わかります』の安売りは禁止です。相場、下がります」
「七海さんの付箋、『共鳴』の話、覚えてます?」
「……覚えてる。UIのラベル候補、だったな」
「Mesh用語では、共感が乗った言葉だけが、相手の次の台詞を安定させる、と彼女は言いました。今日はそれを試しましょう。——本当にわかるところだけ、短く。演技は、七海さんに見抜かれます。遺憾ながら、彼女は鋭いです」
僕はうなずいて、体を起こした。向かいのベランダで布団を叩く老人が、四巡目の終わりに一度だけこちらを見た気がした。五巡目の朝、彼はいつも通り、埃だけを舞わせている。
◇
コンビニ「Mili-Mart」。四巡目は「忙しそうですね」と見て言った。五巡目——
レジ奥の青年は、在庫端末を叩いていた。肩が落ちている。僕はドアの前で一呼吸置き、自分の言葉を選ぶ。評価じゃない。共感だ。
「おはようございます。朝から、大変そうですね」
青年は顔を上げた。四巡目より、目の奥が揺れている。
「……はい。欠品が続いて。謝る回数、多いんです」
四巡目では「急がないです」で終わった。五巡目は、もう一歩。
「それ、しんどいですよね。謝る側も、きついです」
青年は一瞬、動きを止めた。
「……そう、なんすかね。お客さんの顔、見るたびに胃が——」
「わかります。うちのクライアント通話も、同じです。うまく言えないと、全部自分のせいに感じる」
「……ユメトさん、それ、店員に言うセリフじゃないっすよね」
僕は苦笑した。共感、入りすぎたか。
「いや、本音です。お会計、お願いします」
会計後、青年は小さく言った。
「……なんか、少し楽になった。四巡目のお客さんとは、声の温度、違いました」
四巡目? 彼は記憶していないはずだ。それでも、言葉の枝分かれだけは残る。
「ミスター・ユメト、店員のストレス指標0.08低下。共感タグ、有効です。——780円の会計より、安い投資ですね」
「……‘四巡目’って、彼が言ったの、記録に残ってるのか?」
「相手の無意識的な比較表現です。気にしないでください。——気にしすぎるのも、共感の過剰です。**相棒、ループの存在を口にしていませんね? ……良かった、です」
◇
空飛ぶバスに揺られながら、僕はニュースを流す。Semantic Meshの実験報道。LexLoopの名前は出てこない。代わりに、湾岸で「発話トラブル」が増えている、という短いテロップ。
エアステーション到着。充電待ちの配達ドローンの前に、子どもが立っていた。親らしき人が離れ、子どもだけがドローンのランプを見つめている。
四巡目は「充電ポート、空いてる?」と状況確認した。五巡目——
僕はしゃがみ込み、子どもの目線に合わせた。
「怖い? この子、今、充電で休んでるんだ。動くのは、あと少しからだよ」
子どもは親の方を見て、小さくうなずいた。親が走って戻ってくる。
「すみません、離れちゃって……」
「大丈夫です。うちも、待たせる側の気持ち、わかります。急ぎすぎると、言葉が雑になるんです」
親は安堵して礼を言った。ドローンのスピーカーが鳴る。
「協調信号、検出。ユーザー様の発話、養育共感として分類。優先充電、繰り上げ」
ランプが緑に変わった。四巡目には出なかった反応だ。
「相棒、共感って、相手だけじゃなく、第三者の不安にも効くのか」
「効く場合があります。今のは良い例です。悪い例も、今日中に来るでしょう。——当てた、と言いたいところですが、予測です。予測、ですよ」
◇
LexLoop。柏木の手は、まだ震えていた。四巡目は「一緒に見る?」で繋がった。五巡目は——
「柏木、定例、怖いっすよね。俺も、胃のあたり、冷える」
柏木は目を丸くした。
「……ユメト、それ、同期に言うセリフ?」
「本音です。四巡目、君が震えてたの見て、俺も思った。偉そうに言える立場じゃない」
柏木は少し黙って、それから笑った。
「マジ、助かる。……実は、昨夜も眠れなくて。資料、何度も読み返して」
「わかる。五巡目の俺、同じだ。——五巡目?」
「なんでもない。資料、見せて」
篠原への報告は、四巡目の「却下案の期限」確認が効いていた。五巡目は、その上に一言。
「篠原さん。却下案、再提出、負担かかりますよね。必要なら、こちらで下書き、手伝います」
篠原は資料を受け取り、わずかに表情を緩める。
「……ユメト、今日は声が違う。圧じゃなく、並走してる感じだ。午後のクライアント、それでいけ」
七海は通路で資料を抱えていた。付箋の「共鳴」は、まだモニター横にある。
「七海さん。五巡目、共感、試してます」
「早い。……共鳴は、言葉が相手と同じ周波数に触れたときの揺れ。共感は、その前の寄り添い。順番、間違えないで」
「四巡目は、見るだけだった。五巡目は、寄り添う」
「それでいい。ただ、わかりますを安売りしないで。本当にわかるところだけ、短く」
彼女は歩き去った。短い。でも、核心を突いている。
◇
午後。クライアント通話。四巡目はプロセスを説明し、42%まで回復した。五巡目は、篠原と七海の言葉を胸に——
担当者の第一声が、いつもより低い。
「……昨日の続き、というより、別件です。社内で、導入反対派が出まして。現場の負担を懸念している、と」
以前の僕なら、すぐ製品の強みを並べた。四巡目の僕は、沈黙を読んだ。五巡目の僕は、相手の立場を言葉にする。
「現場の皆さんが、『またツールが増えた』と感じる不安、ありますよね。LexLoop側の説明が足りないのは、こちらの問題です」
沈黙。三秒。四秒。
「……その認識、珍しいです。多くのベンダーは、反対派を『理解不足』と切り捨てます」
「切り捨てたら、導入後に言葉が止まります。反対の理由も、現場の声だと思っています」
担当者の声が、明らかに柔らかくなった。
「では、反対派向けの説明資料——現場負担の試算を含めたもの——を、見せていただけますか。デモの前に、それが欲しいです」
通話は、四巡目より長く、深く進んだ。
「契約確度68%。共感タグ『現場負担の承認』が、四巡目の42%を上回りました。——相棒、調子に乗るのは六巡目から、と申し上げたいところですが、先回りは五巡目の悪い例でもあります。記録だけ、先に残します」
僕は拳を握った。見る。寄り添う。——順番が、少しずつ形になる。
◇
帰路。空飛ぶバスの中で、隣席の女性が小さく咳をしていた。マスクの端がずれ、目が赤い。四巡目の僕なら、見なかった。五巡目の僕は——
「大丈夫ですか? この辺、花粉、きついですよね」
女性はうなずいた。
「……ありがとうございます。今日、大事な打ち合わせがあって。声、出るか不安で」
「わかります。うちも、午後、大事な通話がありました。声、震えました」
短い会話だった。降車口で、女性が小さく言った。
「あなたの言葉、押しつけじゃなかった。少し、救われました」
バスが去る。僕は、成功体験に浸りかけた。
駅前。四巡目、ここでMeshの数値を見入れ、「見てろ」と言って自滅した。五巡目——同じ広告板。数値がちらつく。僕は視線を逸らし、歩き出した。
そのとき、巡回ドローンが、僕の前に降りた。四巡目の発話制限の残りタグ。赤いランプ。
ドローンのスピーカー。
「ユーザー確認。前回、挑発的指示の記録あり。説明を求めます。——研究目的、と言う前に、申し訳ありません、の方が先、です。相棒、順番、大事です」
僕は、四巡目の反省を思い出した。見るな。言うな。——でも、無視も、見捨ての言葉になりうる。
「……わかります。怖がらせましたよね。僕、昨日、調子に乗ってました。研究目的じゃなく、見せびらかしでした。申し訳ありません」
ドローンのランプが、赤から amber へ。
「発話、非防御的共感として再分類。制限、一時解除。——ただし、再発時は即時制限」
僕は深く息を吐いた。共感は、人間だけじゃない相手にも効くのか。
◇
その夜。ベッドの中で、アイビーに言った。
「五巡目、いちばんマシだったかもしれない」
「契約確度68%、セキュリティ制限解除、店員・同期・上司・通行人の好感度、いずれも上昇。——相棒、調子に乗るのは、六巡目からです。五巡目の終わりに、悪い例が来る確率、92%と推測します。——七海さん、電話、ですね」
「……先回りすんな」
「共感の先回りです。学習、してます。——嫌われ方も、学習対象です」
僕は笑って、目を閉じた。
——と、スマホに着信。LexLoopの緊急チャンネル。七海から。
「ユメト、まだ起きてる? ……ごめん、余計なこと言うかも。今日の君、共感、うまい。でも、午後の通話、録音、聞いた。反対派の話、本当にわかってる? それとも、うまく言葉にしただけ?」
胸が、冷えた。
「……五巡目の終わりに、来る悪い例、これか」
「答えは、明日。——いや、次の同じ朝、ね」
通話は切れた。僕は天井を見た。共感は、寄り添い。演技は、見抜かれる。
意識が途切れる。
次に目を覚ました時、テレビの音が、目覚ましより先に部屋を満たした。
「——本日も7時12分、湾岸おはようニュース。首題は、Semantic Mesh——」
枕元は7:12。窓の朝日は、同じ角度。
六回目の朝が、始まろうとしていた。