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言葉使い

第11話 副作用の序章

第11話 副作用の序章

第2章 言葉の副作用

第2章 副作用の序章

「……おはようございます。本日も午前7時12分、湾岸おはようニュースです。首題は、Semantic Mesh試験区域——市民の発話意図解析システムは、現在最終調整段階に入っており、来月より一般開放を視野に入れた最終試験が行われます」

寝室の壁掛けテレビから流れる声に、僕はゆっくりと目を開けた。いつもの、あの声じゃない。アンカーのイントネーションも、流れるヘッドラインも、まるで違う。見慣れないニュース映像が、淡々と街の風景を映し出している。

「……ループ、じゃない」

思わず呟く僕の声に、イヤーバディのアイビーが応じた。

「ミスター・ユメト、本日は通常通り、午前7時12分です。ロスタイムは発生していません」

「いや、わかってるよ。でも、なんだか変な気分だ」

「統計上、タイムリープを経験した人間の28%が、正常な朝に違和感を覚えます。これは正常な違和感です」

正常な違和感ってなんだよ。アイビーの乾いたツッコミに、少しだけ気が楽になる。そうだ、僕の『同じ朝』は終わったんだ。昨夜のメッセージを思い出し、僕はベッドから起き上がった。

「アイビー、昨日の創業者のメッセージにあった『副作用』って、結局何なんだ?」

「『副作用』に関する情報は、LexLoopの非公開APIに、極めて限定的な記述が存在します。言葉の意図強度が、環境中のエネルギーフィールドに微弱な、しかし確実な影響を与える可能性を示唆しています」

「エネルギーフィールド……SFかよ」

「SFです。たぶん。ただし、発生頻度、強度、持続性に関するデータは、依然として不足しています」

不足している、たぶん、って、相変わらず煮え切らない。でも、昨日の共鳴暴走を思えば、言葉が物理的な何かに作用する可能性は、ゼロではないのかもしれない。僕はいつもより念入りに言葉を選びながら、身支度を始めた。

空飛ぶバスの窓から、湾岸エリアのビル群を見下ろす。いつもの通勤風景のはずなのに、街全体が、何か違う空気で満ちているように感じた。あるいは、僕の気のせいか。

LexLoopのオフィスは、朝からざわついていた。

「創業者からのメッセージ、見たか!? 『副作用』ってなんだよ、ヤバくね? 俺ら、なんか変な実験に巻き込まれてんじゃねーの?」

柏木が、いつものようにデスクで騒いでいる。彼の表情は、昨日までのループで見た、どこか斜に構えたものとは違い、純粋な戸惑いが混じっていた。篠原さんも、いつになく厳しい顔で会議室へ向かっていく。

僕のデスクに荷物を置くと、七海がすぐに話しかけてきた。

「ユメト、屋上の続き、聞かせて。あのメッセージ、本当に何? 『副作用』って」

「アイビーが言うには、言葉の意図強度が、環境に微弱な影響を与える可能性、だって。エネルギーフィールドとか言ってたけど、詳細は不明」

七海は眉をひそめた。

「まさか。……でも、私の見たあのUIも、あの創業者も、普通じゃない。何か、隠されてる」

七海の言葉は、僕の漠然とした不安を具現化するかのようだった。

ランチは、七海と社内カフェで済ませた。周囲の社員も、まだ創業者のメッセージについて話し込んでいる。

「ねえ、実は少し前から、社内で変な噂があるの。開発部門で、ごく稀に、言葉が現実を歪めるような、小さなバグが報告されてるって」

七海が小声で言った。僕の耳は、たちまちその言葉を拾い上げる。

「例えば、『このコードはゴミだ』って言ったら、本当にそのコードがコンパイルエラーを吐き出すとか、『電源落ちろ』って言ったら、瞬断するとか。でも、誰も信じてない、偶然だって」

「まじかよ……俺の『言葉使い』が、原因だったりして」

思わず口から出た僕の言葉に、アイビーが即座に反応した。

「ミスター・ユメトの過去の発話ログからは、「ゴミ」「落ちろ」といった、意図強度が高い否定的な表現が、統計的に有意な回数検出されています。もっとも、その時はループ中でしたので、現象がリセットされたに過ぎません」

「お前、今嫌味言ったな」

「感情はありません。たぶん」

七海は真剣な顔で僕を見た。

「じゃあ、もし、ループじゃない今、ユメトがそういう言葉を使ったら……。あるいは、誰かが、無意識にでも」

僕たちの言葉が、本当に世界に影響を与える。その可能性に、背筋が凍るような感覚を覚えた。

午後のクライアントとの打ち合わせ。新機能のデモンストレーションは、いつも以上に神経を使った。僕は慎重に言葉を選び、説明を進める。クライアントも好意的な反応を示し始めた、その時だった。

「しかし、こんな面倒な機能、絶対バグるって!」

隣に座っていた柏木が、緊張のあまり、つい口走ってしまった。彼の声は、会議室に妙に響いた。その瞬間、デモ画面がフリーズ。会場の照明が、一瞬、強く点滅した。

クライアントは怪訝な顔で僕を見た。

「……ん? これは、演出ですか?」

「い、いえ、少々、システムの、調子が……」

冷や汗が背中を伝う。アイビーが耳元で冷静に囁いた。

「柏木氏の発話意図強度、瞬間的に98%を記録しました。Semantic Meshのシステムログに、周辺環境への微弱なエネルギー干渉が記録されています」

やはり、本当に起きたのか。「副作用」が。

僕は焦って柏木をフォローした。「ご安心ください! この機能は非常に安定しております! こんな不測の事態は、二度と起きません!」

アイビーが即座に警告した。

「ミスター・ユメト、「二度と」という単語の使用は、意図強度を高める傾向にあります。特に、ネガティブな事象への確約は、Semantic Meshシステムが、その実現に向けて、リソースを過剰に割り当てる可能性があります。注意が必要です」

やべっ。僕は無意識に、さらに状況を悪化させるような言葉を選んでしまったらしい。結局、デモはなんとか乗り切ったものの、クライアントの顔には不信感が色濃く残ってしまった。

帰りの電車は、いつもより体が重かった。疲労困憊とはこのことだ。

「本日のミスター・ユメトの「副作用」発生確率は、2.1%でした。しかし、柏木氏の発話により、その確率は一時的に68%まで上昇しました」

アイビーが淡々と報告する。

「つまり、俺だけじゃなくて、周りの言葉も影響するってことか」

「その可能性は、91%です。Semantic Meshは、個人の発話だけでなく、周囲の発話意図も統合して、環境にフィードバックする設計思想を持つためです」

個人だけでなく、集団の言葉が世界を歪める。僕がループで経験した「言葉共振」は、この「副作用」の、ごく一部に過ぎなかったのかもしれない。

スマホが震えた。七海からのSlackだ。

『今日のデモ、大丈夫だった? 少し気になって。あと、あの『副作用』の件、もう少し調べてみたんだけど、どうやらLexLoopの非公開研究で、『言葉の具現化』って呼ばれてたらしいの。——ねえ、まさか、私たちの会社って……』

僕はスマホを握りしめた。『言葉の具現化』。七海の言葉が、僕の思考を支配する。LexLoopは、一体何を研究しているんだ。そして、この「副作用」の真の目的は。

明日、何が起こるのか、想像もつかなかった。