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言葉使い

第11話 副作用のはじまり

第11話 副作用のはじまり

第2章 言葉の副作用

7:12。スマホのアラームが、優しく僕を叩き起こした。鳥のさえずりを模した、どこまでも穏やかな音色。湾岸おはようニュースのけたたましい音ではない。僕はゆっくりと目を開けた。

「……アイビー」

「はい、ミスター・ユメト。おはようございます。本日は2038年8月21日通常の進行です。Semantic Meshの異常共鳴も、現在LexLoop本社周辺での局所的なものに留まっています。——昨夜の創業者メッセージについては、現在も解析中です。『副作用』の定義が不明なため、予測確度は1.2%です」

本当に、ループしてない。アラームの音も、アイビーの落ち着いた報告も、すべてが「いつも通り」だった。なのに、どうしてこんなにソワソワするんだろう。

第二サイクル、待機中。——ユメト、君は、及第以上だった。は、副作用の方が、読む番だ』

スマホを手に取ると、昨夜創業者アカウントから流れてきたメッセージが、まだトップに残っていた。その下に、七海のSlack。

『ユメト、まだ起きてる? ——屋上の続き。“副作用”って、何? 創業者ログ——、全体に、流れてる』

七海からのメッセージは、昨夜の続きを求めるものだった。僕も知りたいよ、副作用ってやつが何なのか。及第点だとか、超えてるとか言われたけど、その代償がこれだと、ちょっと割に合わない気がする。

「ねえ、アイビー。本当に解析できないの?『副作用』って」

「定義が不明な事象を、既知のデータベースで正確に予測することはできません。過去の類似事象との合致率は0.003%。——相棒の『どうにかなる』という根拠のない楽観論に近い値です。たぶん」

アイビーの毒舌はいつも通りだ。それが、少しだけ僕を安心させた。

「はは、そうかよ。じゃあ、出社して自分で『読む』しかない、か」

空飛ぶバスは、いつもより少し混んでいた。朝食を済ませ、身支度を整えて家を出た僕は、なんとなく体が軽い気がした。ループの重圧から解放された、というのもあるだろうけど、それだけじゃない、不思議な感覚。

「今日も混んでるな……」

僕がそう呟くと、バスの車内ディスプレイに表示されていたニュース速報の文字が、一瞬、ぐにゃりと歪んだように見えた。気のせいか? いや、横に座っていたビジネスマンが、怪訝な顔でディスプレイを見上げていたから、僕だけじゃないはずだ。

「相棒、現在の発話によるSemantic Meshへの干渉レベルは0.03です。——通常時の300%。おそらく、これが『副作用』の一端と思われます」

アイビーが冷静に告げる。通常時の300%? 僕の何気ない一言が、そんなに強い影響力を持つのか?

「は? 俺が何か言うたびに、変なこと起きるってこと?」

「その可能性が、37%。——要するに、相棒の言葉が、物理法則にまで手を出しかねない、と。ただし、その『手を出しかねない』の具体的なメカニズムは未解明です」

物理法則にまで手を出しかねない、だと? 僕の言葉が? 冗談だろ。もしそれが本当なら、下手なことを言えないじゃないか。いや、今までだって下手な言葉遣いでループしてたんだから、根本は変わらないか。

僕はバスを降り、LexLoop本社へと向かう電動歩道を歩きながら、口を閉ざすことにした。なるべく、無害な存在になろう。

LexLoopのエントランスを抜けると、七海が僕を待っていた。

「ユメト、おはよう。昨日のメッセージ、見た?」

「ああ、見たよ。まさか、創業者から直接あんなメッセージが来るとは思わなかったな」

「……創業者、私に、『副作用の兆候を見極めろ』って、個人的にメッセージを送ってきてた」

七海の言葉に、僕は思わず目を見開いた。

「え、マジで? いつ? 全体に流れたメッセージより、もっと具体的ってこと?」

「昨日、君が帰った後。社内全体に流れたメッセージより、もっと具体的だった。だから、私たちで今日解析するって話よ。……でも」

七海がそこで言葉を切ったとき、背後から柏木の声がした。

「あれ? ユメト、なんか今日、雰囲気違うな。いつもより、言葉に重みがあるっていうか? 七海さんも、なんかピリピリしてるし」

柏木はいつものように軽口を叩いたが、彼の言葉にはどこか真剣な響きがあった。僕の言葉に重み? もしかして、僕が黙っていても、言葉の「意図強度」みたいなものが漏れ出しているのか?

その瞬間、上司の篠原も現れた。

「ユメト、七海。今朝の創業者メッセージの件、後で説明会だ。特に七海、お前は先行して何か知っているんだろう

篠原の視線が、七海に突き刺さる。七海は微かに眉をひそめたが、すぐに表情を元に戻した。

「ええ、篠原さん。私なりに、いくつか仮説は立てています」

七海は僕をチラリと見た。その目に、強い意志が宿っているのが分かった。僕の言葉が物理現象に影響を与え始めているというアイビーの報告と、七海の先行情報。何か、繋がりがあるはずだ。

午前中の説明会は、創業者メッセージの真意を掴むための、まさに「説明不足」なものだった。篠原が用意した資料は、抽象的な言葉ばかりで、具体的な「副作用」については触れられていない。

「……現時点では、創業者メッセージの『副作用』については、具体的な情報はありません。LexLoopのシステムに、不明なAPIコールが検知されている、という報告のみです。しかし、これが直接的な原因であるかは不明——」

篠原の声が、会議室に響く。僕は思わず、大きく息を吐き出した。これじゃ、何もわからないじゃないか。そう、心の中で呟きかけた、その時。

「これじゃ、何もわからないじゃないですか」

僕の口から、無意識に言葉が漏れていた。すると、会議室の蛍光灯が、一度チカッと点滅した。参加者の視線が、一斉に照明に集まる。僕の言葉に、反応したのか?

「相棒、現在のSemantic Meshへの干渉レベル、0.07。——物理現象への影響確認。これが『副作用』の本格始動の兆候、58%です。——推奨される行動は、無言の維持、あるいは建設的な言葉の選択です」

建設的な言葉の選択、ね。つまり、今まで通り、言葉に気をつけろってことか。でも、物理現象まで影響するとなると、話は全然違う。

僕はひっそりと冷や汗をかいた。その僕を、七海がじっと見つめていた。鋭い視線が、僕の奥底を見透かしているようだ。

「……ユメト。貴方は、何かを隠しているわね」

七海の言葉は、僕の思考を完全に凍りつかせた。彼女は、一体どこまで知っているんだ?

「その『副作用』について、私に話すことがあるんじゃない?」

彼女は静かに問いかけた。その言葉には、今まで僕が聞いてきたどんな七海の言葉よりも、はるかに強い「意図」が込められているように感じた。

これが、副作用なのか。僕の言葉が、世界を歪める。そして、七海は……それを知っている?

明日、彼女に何を話せばいい? そして、この「副作用」は、一体どこまで僕を巻き込むんだろう。

——僕の言葉が、世界を変える。

それは、本当に「及第点」の結果なのだろうか。